IFLA編集委員会委員としての上方活動と理事会通訳としての参加経験

IFLA幹事 田代 順孝

千葉大学名誉教授

日本造園学会はIFLA世界大会が日本で開催されるのを契機としてIFLAと本格的なかかわりを持ち始めたといってよいであろう。世界大会についてはほかの方が詳述されということなので、小生の役割を“草創期の交流の裏方エピソード”の紹介役、ということにしたい。

小生はJILAのメンバーとして、1980年度からIFLA Committee of Editorialの委員を務めた。会長は西ドイツのHF Werkmeister博士(西ドイツ)で、この委員会のチェアーマンも兼ねていた。なお、日本からのデレゲートは故北村信正さんであった。余談であるが、小生はて北村デレゲートの通訳として多くの理事会に参加させていただいた。当時の会議は英語と仏語が公用語で、両国語で討議が行われ、時間がかかり、混乱もしたことを覚えている。IFLA NEWS発行部会、教育報告部会、YEAR BOOK編集部会、国際LA 情報部会が同時に動いていた。日本からこれらの部会に対する情報を収集し、整理し、英訳して本部事務局(当時はフランス・ベルサイユにあった)に送付するのが私の仕事であった。筑波にある建設省土木研究所研究員時代のことで、学会事務局(当時は東大農学部1号館)に出向いての業務としては結構きつかったが、世界の造園界の最新情報を国内に提供することに生きがいを感じていた思い出がある。

 NEWSは手作りで発行されていたので、レイアウトに苦心した。各国に配布される”最新情報“であった。何といっても大きなイベントはYEAR BOOK 1号の発行である。西ドイツのArno Schmidが編集長で、YEAR BOOK 1881/82, ACTIVITIES 1980が刊行された。Sir Geoffrey Jellico 名誉会長が巻頭文寄せている。電話とファクシミリと郵便が主要な伝達手段であった当時、この年報のはたし果たした役割はとても大きかったと記憶している。

この委員会以外にも多くの調査検討委員会があり、各国のデレゲート(代表委員)をメンバーとして活発に活動していた。Coordination of Education program,委員会 ((JC Carpenter USA,  井手久登 東大教授)Endangered Landscape 委員会 (Sveinung Skjord, Norway), Funding 委員会 (E Lovelace, USA)、Historical Gardens, ICOMOS/IFLA委員会(R Pechre, France , Legislation 委員会 (R Freeman, USA, 北村信正 日本デレゲート)ここでは英独米中心に資格制度の検討が行われた。Road 委員会(W Blair, USA, Translation of technical terms委員会(E Klaus, Germany)

この時期のIFLA活動の大きな目的の一つは”LA職能の社会的認知および技術者の連携強化・情報共有“であった。資格とライセンス制度を有していたのはUSAのみであり、母体のASLA(American Society of Landscape Architects)はヨーロッパ勢の動きとは一線を画していたようである。LAの人数はダントツであり、全米の各州における大学のLA 教育のカリキュラム編成や卒業生の就職に絶大な影響力を持っていたのは事実であり、IFLA本体は”USAとは別の道“を探ったようである。

ここで、興味ある話を一つ。“IFLALAの定義を公式に示すべきである”という強烈な要求がハンガリーから出された。当時欧州各国では”建築家との業務上の仕分け“が緊急課題であり、ILOの規定を遵守した職能形成を目標としていた。つまり、Landscape Architect とBuilding Architectの法的峻別が課題であったわけである。ちなみに、我が国ではILOの批准問題と相まって、国家的資格としてのRLAが認知されたのはこの時期から訳30年を経過してからであることを思うと、当時のIFLA 内部での資格の制度化は悲願であったといってもよいであろう。

1970年代後半の日本造園学会はIFRA特別会員会制度を持っており、200人程度の会員が名を連ね、そのメンバーをIFLA会員として登録し、その人数割りで本部への会費をディスカウント納入したという、涙ぐましい学会経営上の工夫が思い出される。その中で小生は北村デレゲート井手東大教授の指導の下、日大勝野武彦教授とともに、IFLA幹事会を仰せつかり、英国ケンブリッジ大学で開かれた世界大会に井手、輿水、勝野、武内、根岸、飯塚の諸氏とともに”大挙“参加できたことは、小生のその後の国際活動に大きなインパクトを与えるきっかけになったと思っている。

以上簡単であるが、小生がかかわったIFLA活動の一環の紹介としたい。なお詳しくはその後発行されたIFLA YEAR BOOK およびNEWS LETTERをお読みいただきたい。

田代 順孝 Yoritaka Tashiro

1973年千葉大学大学院園芸学研究科修士課程修了(造園学専攻)、1979年東京大学大学院工学系研究科博士課程修了(都市工学専攻)。建設省土木研究所などを経て、1995年~千葉大学園芸学部教授。1975年~IFLA幹事、2004年~国際委員会会長などを務める。