ランドスケープからの始まり

名古屋市立大学大学院芸術工学研究科教授(建築都市領域)

岡村 穣 

 

 1996年10月、イタリアのフィレンツェで第33回IFLA世界大会が開催され、景観に配慮した地下の国際会議場での講演や荘園での豪華な懇親会に加えて、ローマ・フィレンッツェ・パドバ・ベネチア・ミラノの名園を巡るツアーが企画され、講義の資料つくりを兼ねて自費参加したのがIFLAとの最初の出会いでした。その後、シンガポール・カルガリー・台北・エジンバラ・クアラルンプールの5回の世界大会と仁川・バンコクの2回のアジア太平洋地区大会で発表し、2010年上海万博見学を兼ねた中国蘇州の世界大会及び2012年スイス・チューリッヒの世界大会に参加しました。

 IFLAは、ユネスコが支援する環境デザイナー・造園家による職能集団で、途上国への支援を第一の目的に、生態的・文化的景観の保全に関する環境研究やプロジェクトを推進するために、世界会議・地域会議・学生デザインコンペを活動の中心に置いて、主に国単位の交流活動を続けています。もちろん世界遺産登録を事前審査するICOMOSの主要会員も多数参加しています。東アジアでは、韓国・中国・香港の参加者の勢いが群を抜いており、多くの学生・教員・関係者が参加して、国・地域を挙げた支援を強く感じます。

 一方、ユネスコには創造都市ネットワーク・プロジェクトがあり、名古屋市・神戸市がデザイン都市、金沢市がクラフト&フォークアート都市、2013年に札幌市がメディアアート都市に認定され、地域間のアートとデザインに関する世界的な交流が促されています。名古屋市では国際デザインセンター(株)が窓口になっており、創造都市ネットワークを支える学術組織としてCUMULUS(アート・デザイン・メディア系の高等教育機関による国際学会)があります。国単位の協力か?都市・地域間の国際協力か?ここ数年の新たな悩みです。

 筆者は1951年生まれで、今年(2014)7月で63才です。自分の学生時代を省みると定年直前の老教授と同い年になります。1971年に九州大学農学部に入学し、文学部で中国文学の教授であった父の「基礎研究が大切」の言葉に従って、農芸化学科土壌学研究室に進み、主任教授(後に九州大学総長)の薫陶を受けました。研究室の2年先輩は修士課程を修了して鹿児島大学助手に、1年先輩も同じく修士課程を修了して九州大学助手に就任し、次は自分も!と期待しましたが、結局博士後期課程3年修了まで在籍し、1980年に名古屋市立保育短期大学の公募で専任講師に就任しました。

 当時は、教育と研究は別モノと割り切っており、講義や雑用を午前中に済ませて、午後は自転車・バス・地下鉄を乗り継いで名古屋大学農学部に移動し、深夜まで土壌学研究に励んでいました。

 1996年に、名古屋市立大学教養部・市立女子短大・保育短大の四年制大学化に伴う名古屋市立大学芸術工学部の設立が予定されており、設置者である名古屋市から「教員の保身のために改組するのではない」との強い姿勢が貫かれました。その時に都合よく国内研修の順番が回ってきました。教員名簿に「農学博士」の肩書を持つ先生方がおられるのを幸いに電話をかけて、1995年4月から半年間、阪神淡路大震災直後の名神・中国自動車道を通って、九州芸術工科大学環境設計学科に内地留学したのが「造園学」との最初の出会いでした。「卒論生になったつもりで勉強」と思っていたら、1年生の講義も面白く、眠り続ける受講生たちの中で、一言も聞き漏らすまいとノートを取りました。当時は、学生時代に薫陶を受けた土壌学の主任教授が九州大学総長をしており、九州芸術工科大学の学長室に突然招かれたこともありました。そして、芸術工学部の建築・都市計画のジャンルの中で、習ったばかりのランドスケープ論と実習を担当することになりました。

 それでも、4年後の大学院修士課程及び6年後の博士後期課程の設置に向けた文部科学省による厳しい資格審査が待ち受けており、新たに入会した芸術工学会・建築学会・造園学会などに、徹夜の連続で論文や発表要旨を書きまくる日々が続いていました。それまで加入していた各種の学会・研究会には、それぞれ上位団体となる国際学会があり、ランドスケープに関する国際学会を探し始めていました。そんな中で出会ったのがIFLAでした。土壌学関係で参加した国際学会は、イタリア南部のバーリ・カリブ海のトリニダードトバゴ・フィンランドのツルクなどの辺境の地で開催されることが多く、世界的な観光地での学会開催と名所・名園を巡るツアーに感動の連続です。ぜひご参加ください。


左:チューリッヒ世界大会(2012)の基調講演

右:チューリッヒ世界大会(2012)の休憩タイム

岡村 穣   Okamura Yutaka

1980年九州大学農学研究科農芸化学を卒業後、名古屋市立保育短期大学の専任講師・助教授、名古屋市立大学芸術工学部助教授、名古屋市立大学大学院芸術工学研究科助教授を経て、2004年から現職。

芸術工学会副会長、日本造園学会中部支部副支部長、社叢学会理事、元日本土壌肥料学会中部支部長、愛知県環境審議会委員、前愛知県環境影響評価審査会長、名古屋市広告・景観審議会委員など多数。