海外経験の意義

樫野直広

■マレーシアへ、熱帯雨林の森を公園の核に

 1986年4月、現地法人との合弁会社であったTeam Three Takano Landscapeへ高野ランドスケープ側から出向となりマレーシアに着任、以来今日まで当地にい続けています。90年に一度本帰国が決まり、実際帰国して一ヵ月滞在しましたが、国内にいるより海外の方がよいと決め、再びクアラルンプールに戻りました。マレーシアの何がよかったのか思い出してまとめると、会社のトップである、日本人であることと造園家であること(大卒であること)に敬意を持たれる、海外を一人で渡り歩いている実感がある、人間関係が気まま、気候と物価が楽、友達や恋人がいた、概してこの国が好き、ということだったと思います。

 赴任当時は日本企業(高野ランドスケープのこと)の海外進出・事業拡大の任務を背負い、短・中期(2年~5年くらい?)の責任を果たす目標の基に従事していたように思います。高野ランドスケープが手掛けていたShah Alam市新州都建設プロジェクト終盤の施工監理、同市タウンセンター開発事業等に携わりました。物は壊れてしまいますし当地ではメンテナンスがうまく行われないので、現在でも理想的に機能している作品を胸を張ってご紹介、とはあまりゆきませんが、当時植えた熱帯雨林樹種の苗木が現在見事な樹林地となった姿が、日本人チームとして成し遂げた仕事としての誇りです。 


■独立 Aroma Tropicsを設立、

 マレーシアよりSpecial Honour Awardを受賞

 1990年当地にて独立、Aroma Tropicsを設立しますと、もはや日本を代表して起業しているという自覚が失われます。本社への意識も利益非分配の後ろめたさもなく、なんとか食い続け、生き延びてゆくことばかりが心配されます。追い風向い風の中幾たびかの事務所引っ越しを繰り返し、社員数が3人、1人、2人、3人、5人、10人と変化し、現在は15人ほどの事務所を何とかやりくりしている、というのがざっとした歴史でした。その間、民間のコンドミニアム、ビジネスセンター、ショッピングセンター、ゴルフ場、スポーツセンター、住宅や公園の造園設計、また公共の植物園、庁舎、出入国コンプレックス、まちなみ景観計画などの仕事を行ってきました。プトラジャヤ植物園は一昨年、Institute of Landscape Architects MalaysiaよりSpecial Honour Awardという賞をいただきました。

 

■海外で仕事をする楽しさ

 私は一人でも多くの方に、海外業務経験をお勧めします。マレーシアの場合は国民の約半数がマレー系、三分の一がチャイニーズ系、残りがインド系と、多民族環境の中で仕事をすることになります。民族の違いで考え方や日常の言動に差があることを前提にやってゆかなくてはなりませんので、面白かったりいらいらしたりします。でもその人はそういう人間であることを変えることはできないので、あなたに許容力が生まれ、いろいろな人と仕事ができるようになってゆきます。

 言葉は英語が主で、これはマレーシアがイギリス殖民地であったためでしょうが、最近始めたベトナムの仕事でも英語が不可欠なところをみると、どうやら世界は国際化に向けて動いているように思われます。その国の言葉が話せるに越したことはありませんが、とりあえず英語で仕事ができるあなたの方が、そうでないあなたより国際的な魅力を感じさせます。

 ジャズミュージシャンはいいなと思います。各楽器のプレーヤーが選んだり選ばれたりしてグループとなり、一枚のCDを作ります。日本人やアメリカ人やアジア人が混じっています。あんなふうに仕事ができたらどんなに楽しいことでしょう。

 ランdスケーp(カタカナでの発音はひどいので若干標記を変えました)の仕事が将来そんなふうに進められるようになった時のために、今から海外経験を積んで状況に慣れておいた方がいいですよ。

 



■真の海外経験の意義 プロの生き方

 さて、これを読んで心を躍らせる方は、きっと私の赴任当時のような形、2年か5年くらい勤めたあと帰国をする予定、というものを想定しておられることでしょう。ある期間の海外での特殊経験を、その後の自国での仕事に生かす、素晴らしいですね。帰らずにその国にい続けてしまったら、何のための海外経験でしょう?

 ここで、い続けてしまった私たち何人かの日本人を正当化するために、なんと真の海外経験の意義はその見落としやすい場所に潜んでいたのだ、という事実を明らかにしたいと思います。それは「プロ」の社会への責任にあります。

 NHK番組の『プロフェッショナル』で様々に「プロ」の定義がされましたが、なかなか出てこないのが普通マレーシアで言われる「プロフェッショナル」の意味です。大学で専門教育を受け、その職域を利益に関わりなく全うする人を「プロフェッショナル」と言います。医師、建築家、エンジニア、法律家、会計士などのことであり、私たちランdスケーp・アーキテクtも曲がりなりにもプロフェッショナルと言えます。どの国でどんな仕事に携わろうが、私たちは「プロ」のランdスケーp・アーキテクtとして、とにかく世の中での役割をやり遂げなくてはならない、そこに生きる意義があるというものです。

 ナイチンゲールはクリミアで、マザー・テレサはインドで、野口英世は欧米やアフリカで活動したように、故国を離れても天職を果たすことが、プロの生き方であろうと思います。



樫野 直広  Kashino Naohiro

1984年北海道大学農学部花卉造園学教室卒業後、高野ランドスケープ・プランニングから1986年マレーシアに出向、1990年現地法人Aroma Tropicsを設立、Founding Partnerとして現在に至る。プトラジャヤ植物園でILAM(Institute of Landscape Architects Malaysia)特別名誉賞、プトラジャヤ庁舎、Setia Eco Park Waterway等で同名誉賞受賞。造園家と同時に小説家(自称)、著書「薬師」(駒草出版)。