第10回IFLA EASTERN REGION 大会の記録

2000年8月31 日(木)~9月4日(月)、事業委員会として

高橋 信行

1.はじめに

第10回イフラ・イースタンリージョン大会を日本の淡路島で開催するにあたり、私はイフラジャパンの副会長として事業委員長を拝命しました。当時は社団法人 日本公園施設業協会(以下JPFA)の専務理事として働き、とりわけ遊具の安全問題について取り組んでおり多忙でしたが、造園人としてイフラに貢献すべきと考えお受けした次第です。

 

2.事業委員会の業務範囲

事業委員会の担当業務は大会中のスタデイツアー、閉会パーティそして閉会後の見学旅行の各企画と運営でした。これら3件のそれぞれについて委員会は検討を重ね、当初はかなり大規模かつ幅広な提案がありましたが、国内外からの参加者数や海外からの参加者の要望を勘案し、コンパクトな企画にまとまりました。

なお、開会パーティについては地元兵庫県に一切をお任せしました。

 

3.担当各業務について

淡路景観園芸学校にて、参加者37名
淡路景観園芸学校にて、参加者37名

(1)スタデイツアー  ~9月1日(金)~

北淡町震災記念公園と淡路景観園芸学校を見学しました。記念公園には1995年1月17日(火)の大震災による断層が保存されており、また被災家屋の室内の状況が再現されていました。淡路景観園芸学校では景観園芸に関わる実務者の育成について学び、各国の参加者から質問、感想が寄せられました。

 

(2)閉会パーティ ~9月2日(土)~

閉会式を終えての夕刻に開催。大間武氏のユーモア溢れる司会により和気藹々、楽しい会となりました。アトラクションで各国の参加者が歌を披露する中で、イフラ会長夫妻にも楽譜を準備しドイツ民謡を歌っていただきました。締めは阿波踊り、地元の愛好会の先導に全員が巻き込まれてお開きとなりました。

 

梅小路公園にて、参加者29名
梅小路公園にて、参加者29名

(3)見学旅行 ~9月3日(日)・4日(月)~

限られた日程の中で対象地を京都に絞り、野村碧雲荘など植冶の作庭になる名園をはじめ新旧の庭園を巡り、最後は梅小路公園に到着、京都駅で解散しました。

 

4.お世話になった方々、組織

多方面にご協力頂きましたが、特に謝意を表したい方々と組織を記します。

(1)石原憲一郎氏

スタデイツアーの企画と運営には当時淡路景観園芸学校の副校長であった石原憲一郎氏の助力を得ました。石原氏は、当校の開設準備から総括責任者として関わってきており、校内は自ら案内し説明して下さいました。閉会パーティでは、地元の阿波踊り愛好会を紹介して下さいました。

 

(2)吉田博宣先生

当時京都大学農学部教授として京都の見学旅行の企画をご指導下さり、非公開庭園の見学にもご助力頂きました。また諸行事を通じて必要となる通訳に、大学院博士課程在学中のアロン・イズガー氏を推薦してくださいました。

 

(3)中村靖彦氏

中村氏は当時(株)中村製作所の社長で、その事業とJPFA(日本公園施設業協会)の初代会長としての社会貢献を認められ1999年度に黄綬褒章を受章されました。2000年3月9日に祝賀会が開催されたあと、氏はイフラジャパンに100万円の寄付をして下さり、この資金は大会運営に大いに役立ちましたので、大会事務局は閉会式典の中で氏に感謝状をお贈りした次第です。

 

(4)JPFA(日本公園施設業協会)

JPFAは私を助ける意味もあり、イフラ・イースタン大会前日に淡路島で理事会を開催し、その後大会に参加する理事には参加費の一部を助成して参加者増加に貢献して下さいました。また事例報告として、「遊具の安全対策への取り組み」について発表しました。遊具の安全問題についてJPFAは建設省当局の調査費を10年近く受託して資料を集積したうえで、学識者による委員会を組織して検討を重ね、1999年には米国で開催された「第2回・遊び場安全に関する世界大会」にも参加。2000年度から建設省が社団法人 日本公園緑地協会に調査を委託した際にも積極的に協力していたのです。なお、その後2002年には建設省は「都市公園における遊具の安全に関する指針」を発表し、これを受けてJPFAは「遊具の安全規準(案)」を公開しました。指針と規準は2008年に改訂されております。)

 

5.おわりに

高野会長から記録原稿の要請がありましたが、古いこととて資料を逸失しており、かなり不完全かつ不確かな内容と思います。当時の関係者が修正・補足して下さるよう願っております。

 

 

高橋 信行 Takahashi Nobuyuki

1964年3月北海道大学農学部大学院修士課程終了、同年4月建設省入省。建設省都市局、関東地方建設局、国土庁大都市圏整備局、地域振興整備公団、神奈川県、大阪府、滋賀県を歴任、1990年7月建設省大臣官房付、退職。その後(財)公園緑地管理財団、(財)日本緑化センター、(社)日本公園施設業協会、(社)ランドスケープコンサルタンツ協会、(財)古都保存財団の役・職員として勤務、2011年3月退任。