第34回ブエノス・アイレス世界大会への参加

国土交通省都市局公園緑地・景観課緑地環境室長 

町田誠

 私がIFLAの大会に参加させていただいたのは、今から14年前平成9年、地球のほぼ真裏、アルゼンチン ブエノス・アイレスでの世界大会です。IFLAの世界大会へ出席して、3年後にEastern Regionの大会を日本で開催することを前提とした挨拶をしてこい、という出張命令を受けた、当時、建設省都市局公園緑地課に在籍していた私は、緯度で163度、経度で73度という、それまでに経験の無い大移動をしたのでした。

 もっとも、前会長の杉尾さん御夫妻と現理事の鳥潟さんらと御一緒させていただきましたので、連日深夜勤務だった私は、準備らしい準備もろくにせずにこの出張に臨んだのでした。今から思えば、もっといろいろと現地のことを予習しておけば、実りの多い?渡航になっていたと思います。

 成田を発って、都合35時間、4つの飛行機を乗り継いで最初に立ったのは、マル・デル・プラタ(Mar del Plata)というブエノス・アイレスから更に南に400kmに位置する都市でした。もちろん初めて聞いた都市の名前でしたが、マル・デル・プラタは人口50万人ほどの海岸リゾートの大都市だったのです。計画的に整然とつくられた街区、海岸の大きなリゾートホテル群、大変緑濃い美しい住宅地(石見瓦のような赤い大きな屋根・屋根)、そしてダイナミックで美しい海岸線、砂浜に面して海岸段丘を利用してつくられた色濃い芝生の公園が延々と続き、遠くの海岸沿いには大きなCasinoも眺めることが出来ました。(行ってません。)

 もう本当に記憶が定かでないのですが、マル・デル・プラタでは会議があったのでしょうか。ひょっとしたら、Eastern Regionの会合はマル・デル・プラタで開催されたのかも知れません。なぜなら、他に用事が思い当たりませんし、ブエノス・アイレスに移動してからは妙に開放的な気分に浸っていたことを覚えているからです。私の唯一のミッション、「2~3分のスピーチ」は終わっていたのでしょう!

 マル・デル・プラタでの2~3日を終えて、ブエノス・アイレスでの世界大会に参加させていただきました。ブエノス・アイレスは言うまでも無く南米大陸を代表する、パリを想わせる美しい大都市で、治安も大変良い都市でした。世界大会へのレジストレーションを済ませて、杉尾前会長夫人の発表や、鈴木昌道氏の講演などを聴かせていただきました。国際会議は初体験でありましたが、その後、職務で気候変動枠組条約締約国会合に2回参加するはめになった私としては、大変貴重な経験となりました。

 エクスカーションでは、バスでブエノス・アイレスの隣町のラ・プラタ(La Plata)という街の方向へ行きました。大きな植物公園で、それまで見たことも無いような種類の巨木群を見た記憶が鮮明に残っています。また、会議の合間(だったかどうか)には、ブエノス・アイレスの治安の良さに甘えて、一人でうろうろと街中を楽しんでおりました。

 なんだ、観光旅行じゃないかとお叱りを受けそうですが、問題の2~3分のスピーチは、通訳するので日本語で構わない、と言われておりましたが、いざ会議が始まると出席者全員が英語で話しており、日本語ではあまりにも恥ずかしいので、前夜になけなしの英語力を駆使して文章を作り、通訳を務めておられた宮さんに事前に見ていただきOKをもらったものの、いざ本番では、スピーチが終わったにもかかわらず、会議の出席者の反応は無く、スピーチが終わったことすら分からないほどの酷い発音なのか!と、自己嫌悪に陥りました。もし聞き取っていただいた方がいらっしゃったなら、最後の部分で「3年後のEastern Regionの会議は、国際園芸・造園博覧会が開催されている淡路島の国営公園で行います。おそらく私はその公園の所長になって皆様をお迎えするでしょう!」と、3年後の人事など分かるはずもない中、いい加減な言葉で結んだのですが、果たして私は、平成12年にその公園の所長になっており、Eastern Regionの大会で、その時のメンバーをお迎えし、大会冒頭、歓迎の挨拶をしたのです!(日本語で)

 とりとめも無い思い出話を書いてしまいましたが、IFLAの世界大会に出席させていただいて、実に様々な国々で造園家と呼ばれる方が、多彩な活動をされていることを実感しました。その後の私の仕事に活かされているかどうかは不明ですが、国際園芸・造園博の後、フロリアードやIGAへの政府出典、愛知万博、そして今回、東京都に出向して全国都市緑化フェアTOKYOを行うなど、緑の持つインターフェースの機能が発揮される職場を幾つか渡り歩く中で、限定的に「造園」を捉えることをしない、という最初の体験だったのかも知れません。

 ブエノス・アイレスでの最後の夜、一人で街に出て小さなバーに行き、最後の思い出に地元のウイスキーを飲もうと、如何にもそれらしい「Blanca Caballo」を頼んだところ「White Horse」のボトルが出てきたという落ちもちゃんと付きました。

町田 誠  Machida Makoto

1982年千葉大学園芸学部環境緑地学科卒業後、建設省関東地方建設局国営昭和記念公園工事事務所設計課に勤務。その後、日本各地の公園緑地の業務に従事し、2013年7月から国土交通省都市局公園緑地・景観課緑地環境室長。公益社団法人日本造園学会関東支部副支部長。著書に、「市民工学としてのユニバーサルデザイン(共著)」など。